【映画評】『ミゼリコルディア』(2024)(ネタバレ有り感想・あらすじ)

『ミゼリコルディア』(2024)の概要

作品概要

原題Miséricorde (ミゼリコルド)
英題Misericordia (ミゼリコルディア)
上映時間102-104分(1時間42-44分)
制作年2024年
製作国フランス、スペイン、ポルトガル
公開日日本:2025年3月22日
カンヌ:2024年5月20日
フランス:2024年10月16日
スペイン:2025年3月14日
アメリカ:2025年3月21日(限定公開)

メインスタッフ・キャスト

担当名前
監督・脚本アラン・ギロディ (『湖の見知らぬ男』(2013))
プロデューサーチャールズ・ギルバート (『アネット』(2021))
撮影監督クレール・マトン (『燃える女の肖像』(2019))
音楽マルク・ヴェルダゲール (『パシフィクション』(2022))
出演フェリックス・キシル
カトリーヌ・フロ (『家族の気分』(1996))
ジャック・ドゥヴェレイ
ジャン=バティスト・デュラ
ダヴィド・アヤラ

予告編

動画配信(主要サイト)

名前Prime VideoU-NEXTNexflixHuluLemino(旧dTV)
ロゴ
見放題なしなしなしなしなし
2025/3/29(土)時点

あらすじ

『ミゼリコルディア』(2024)の物語は、ジェレミーがかつての雇用主であった地元のパン職人の葬儀に出席するため、故郷のサン=マルシャルに戻ることから始まる。彼がパン職人の未亡人マルティーヌのもとに滞在を延長することを決めたことが、特に彼女の息子ヴァンサンとの間に緊張を生み出す。ジェレミーの存在は触媒となり、閉鎖的なコミュニティ内の長年の秘密や疑念を掻き立てていく。

以下ネタバレ


感想・考察

赦しとしての”ミゼリコルディア=慈悲”とは何か

前書き:現代フランス映画で注目を集めるアラン・ギロディ監督とは

アラン・ギロディは、現代フランス映画において独自の地位を確立し、安易なカテゴリー分けを拒む作品を制作してきた。彼の作品は、しばしば静穏な田園風景を背景に、人間の欲望、複雑な性的力学、そして道徳的な曖昧さを大胆に探求することを特徴とする。

『湖の見知らぬ男』(2013)や『垂直のまま』(2016)といった作品は、彼の独特なアプローチの証となっている。このような背景のもと、2024年の彼の新作『ミゼリコルディア』(2024)は、権威あるカンヌ国際映画祭でプレミア上映され、大きな期待を集めて登場した。

この最新の映画作品は、ギロディのジャンルを超越する傾向を受け継ぎ、スリラー、コメディ、ドラマの要素を織り交ぜながら、観客を不安にさせ、考えさせる物語となることが期待される。本稿では、『ミゼリコルディア』(2024)の包括的な分析を提供することを目的とし、その複雑な物語、批評的評価、テーマの根底にあるもの、そしてこの興味深い作品を定義するスタイルの選択について掘り下げる。

ミゼリコルディアの制作背景

『ミゼリコルディア』(2024)の基本的な理解を得るためには、いくつかの重要な情報が不可欠である。フランス語の原題と同じ『Miséricorde』=ミゼリコルド(フランス語で慈悲)、というタイトルで、アラン・ギロディが監督と脚本の両方を務めており、このプロジェクトに対する彼の個人的なビジョンが強調されている。製作には、CG Cinéma、Scala Films、Arte France Cinéma、Andergraun Films (スペイン)、Rosa Filmes (ポルトガル)など、複数の制作会社が協力した。この国際的な協力体制は、映画の発展に影響を与えた可能性のある多様な影響や資金源を示唆している。

『ミゼリコルディア』(2024)は、2024年5月20日にカンヌ映画祭でプレミア上映された後、2024年10月16日にフランスで劇場公開された。スペインでは2025年3月14日に公開予定であり、米国では2025年3月21日から限定公開されている。

『ミゼリコルディア』(2024)の視覚的な風景は、ギロディの過去の作品や、『燃ゆる女の肖像』(2019)などの作品で高く評価されている撮影監督クレール・マトンによって作り上げられた。一方、映画の聴覚的な側面は、マルク・ヴェルダゲールの音楽によって形作られている。

ミゼリコルディアのキャスト

『ミゼリコルディア』(2024)の中心となるキャラクターは、才能あるキャストによって生き生きと描かれている。フェリックス・キスィルは、しばしば謎めいていて理解しにくいと評されるキャラクター、ジェレミー・パストールを演じている。セザール賞の助演女優賞も受賞しているフランス映画界の著名な人物であるカトリーヌ・フロは、物語の初期の中心となる未亡人、マルティーヌを演じ、その存在感が画面を支配する。ジャック・ドゥヴェレイは、その意図がしばしば疑わしいと描かれる司祭、フィリップ・グリーズール神父を演じ、複雑な心理を繊細に表現している。

ジャン=バティスト・デュランは、マルティーヌの息子で、しばしば激昂しやすい気性を持つと評されるヴァンサンを演じ、緊張感あふれる場面を生み出している。(本業は映画監督らしい) ダヴィド・アヤラは、物語の展開に重要な役割を果たす隠遁した隣人、ウォルター・ボンシャンとして登場する。脇役には、セバスチャン・ファグラン、タチアナ・スピヴァコヴァ、サロメ・ロペス、セルジュ・リシャール、エリオ・ルネッタなどの俳優が出演し、それぞれが小さな村の舞台における複雑な人間関係に貢献している。

ミゼリコルディアのストーリー

『ミゼリコルディア』(2024)の物語は、ジェレミーが故郷に戻り、彼の過去の人物であり、予期せぬ出来事の連鎖を引き起こすことになるパン職人の葬儀という陰鬱な出来事に出席することから始まる。ジェレミーは、他の場所での生活に戻る代わりに、最近亡くなったパン職人の妻マルティーヌのもとに滞在することを決める。この一見単純な支援の申し出は、すぐに摩擦を生み出し、特にマルティーヌの息子ヴァンサンは、ジェレミーの存在を疑念と反感をもって見つめるようになる。

サン=マルシャルという小さな村の雰囲気は、ジェレミーの長期滞在が地元の噂や憶測を煽るにつれて、言葉にされない緊張と隠された好奇心で満ちていく。展開するドラマに加えて、失踪事件の兆候、孤立した隣人ウォルターを取り巻く不安感、そしてジェレミーに対する地元の司祭の不穏な行動があり、その関心は精神的な指導を超えているように見える。

ジェレミーとヴァンサンの間の緊張した関係は、最終的に肉体的な衝突へとエスカレートし、致命的な事件を引き起こす。自身の行動の結果に直面したジェレミーは、真実を隠蔽しようとし、村の司祭という意外な協力者を見出すが、彼の援助には親密さという暗黙の条件が伴っていた。この映画は、田舎のメロドラマとスリラーのサスペンスとの間の微妙なバランスを見事に操りながら、展開する出来事の不条理さを強調するブラックユーモアの瞬間を散りばめている。

ミゼリコルディアのテーマ

『ミゼリコルディア』(2024)の物語からは、いくつかの重要なテーマが浮かび上がってくる。田舎のコミュニティという制約された環境における抑圧されたセクシュアリティは、ギロディのフィルモグラフィーにおいて繰り返されるモチーフであり、この作品でも重要な伏流を形成している。この映画はまた、特に司祭の行動や動機に関連して、罪、贖い、信仰、そして罪の性質といった複雑なテーマを掘り下げ、観客の内省を促している。

欲望の探求が中心となり、憧れや情欲から、タイトルで暗示される曖昧な「慈悲」まで、さまざまな形で表現されている。秘密という普遍的なテーマと、一見平凡な村の生活の表面下に潜む明白な緊張感が、映画全体の雰囲気に独特の深みを与えている。さらに、『ミゼリコルディア』(2024)は、田舎のコミュニティの力学、宗教的偽善の可能性、そして社会的な相互作用を支配するしばしば言葉にされないルールについて、微妙な社会批評を提供していると解釈することもできる。

ミゼリコルディアのキャラクター

『ミゼリコルディア』(2024)の登場人物たちは、複雑でしばしば隠された動機によって突き動かされている。物語の中心にいるジェレミーは、帰郷の理由、そしてより重要なことに、滞在の理由が意図的に曖昧にされており、謎めいた人物として観客の好奇心を刺激する。この不可解さが、彼の行動を取り巻くミステリー感を高めている。

マルティーヌとヴァンサンは、ジェレミーの存在に対して、疑念と彼ら自身の根底にある欲望が混ざり合った反応を示し、彼らの相互作用に複雑さを加えている。司祭の役割は特に多面的であり、彼自身の隠された願望と、精神的な義務と個人的な関心の境界線を曖昧にするような、ジェレミーへの援助の意欲によって突き動かされている。孤立したウォルターや地元の警察といった脇役でさえ、物語を前進させ、村内の複雑な人間関係の網を明らかにする上で重要な役割を果たしている。

ジェレミーが一貫して「不可解」に描写されていることは、彼の意図を取り巻く謎の雰囲気を維持するという意識的な物語の選択を示している。これにより、観客は、映画の他の登場人物と同様に、彼自身の解釈を彼に投影することができ、それによって認識の主観的な性質と、言葉にされない欲望の力を強調している。

脚本におけるジャンルの巧みな融合により、ギロディは深いテーマを、ブラックユーモアの底流と不条理感をもって扱うことができる。この独特のアプローチは、観客を不安にさせると同時に、暗くも面白い視聴体験を創出し、予期せぬレンズを通して深刻な問題に直面させる。小さな孤立した田舎の村という限定された舞台設定は、抑圧されたセクシュアリティとコミュニティの厳しい監視というテーマを探求する上で重要な要素として機能し、物語に緊密な一体感を与えている。

文化的背景

『ミゼリコルディア』(2024)の歴史的・文化的背景は、その物語とテーマを形作る上で重要な役割を果たしている。南フランスの田園地帯を舞台にしたこの映画は、そのようなコミュニティにしばしば関連付けられる特定の文化的ニュアンスと社会力学を巧みに活用している。これらの閉鎖的な環境は、強い伝統、確立された階層、そして個人の表現を育むと同時に抑制する可能性のある程度の社会保守主義によって特徴付けられることが多い。

罪悪感、慈悲、贖いという概念を強調するカトリック宗教の影響も、特にギロディ自身のこの主題に関するコメントを考慮すると、テーマの底流にあるように見える。この文脈の中で、この映画は、ギロディの作品で繰り返される要素であるLGBTQ+のテーマを探求し、これらのアイデンティティと欲望が、しばしば制約的な田舎の生活の社会構造をどのように乗り越えていくかを洞察力豊かに考察している。

映画的技法

演出

『ミゼリコルディア』(2024)の芸術的ビジョンは、スリラー、コメディ、ドラマの要素をシームレスに織り交ぜ、独特の映画体験を創造する彼の得意とするジャンルを超越するアプローチによって特徴付けられる。彼は、人間のセクシュアリティの複雑さ、道徳のニュアンス、そして暴力の不安な性質といった、複雑でしばしばタブーとされる主題を恐れることなく掘り下げ、従来の物語の境界線を押し広げている。

ギロディは、その動機がしばしば曖昧なままの謎めいたキャラクターを巧みに作り上げ、観客に彼らの行動や欲望を積極的に解釈するよう促している。さらに、彼は、特に彼の物語の背景として頻繁に用いられる田舎の舞台において、場所と雰囲気の強い感覚を確立する驚くべき能力を示し、観客を親しみやすくも微妙に不安な世界に没入させている。

また、演出スタイルは、いくつかの重要な点で顕著に表れている。映画は意図的なペースで展開し、一部の批評家は、物語の層とキャラクターの複雑さが徐々に明らかになる、慎重な積み重ねを指摘している。このペースは、特に物語のスリラー要素が前面に出てくるにつれて、緊張感とサスペンスの醸成に大きく貢献している。ギロディの巧みなブラックユーモアの使用は、しばしば深刻な主題に予期せぬユーモアの瞬間を注入し、独特で考えさせられるトーンのバランスを生み出している。

彼の俳優への演出は広く称賛されており、特に謎めいたジェレミーを演じるフェリックス・キスィルと、魅力的なマルティーヌを演じるカトリーヌ・フロのニュアンスのある演技は、監督がキャストを効果的に導き、彼らの役柄の複雑さを体現させていることを示している。

ギロディが『ミゼリコルド』で採用した意図的なペース配分は、特定の雰囲気を作り出し、映画のテーマと登場人物をより深く探求することを目的とした意識的な選択であると思われる。一部の観客はこのペースをゆっくりと感じるかもしれないが、それはおそらく不安感と期待感を高め、観客を映画の複雑な世界にさらに引き込み、登場人物の行動や相互作用における微妙なニュアンスをより詳細に観察することを可能にするのに役立っている。

監督のユーモアとより暗く深刻なテーマとの巧みな融合は、彼の演出の署名となる特徴であり、しばしば独特で不安な視聴体験を生み出している。このトーンの並置は、従来の期待に挑戦し、映画の主題に対するより複雑で多面的な関与を促す効果がある。ギロディの演出の下で俳優から一貫して引き出される強力な演技は、彼の登場人物に対する明確なビジョンと、このビジョンをキャストに効果的に伝える能力を持つ映画監督としての才能を示唆している。特に主演俳優たちの演技に対する批評家の称賛は、これらのしばしば謎めいた人物たちを生き生きと描く上での監督と俳優の成功したコラボレーションを雄弁に物語っている。

映像表現と撮影技術

『ミゼリコルディア』(2024)の映像表現は、ギロディの常連である撮影監督クレール・マトンによって見事に作り上げられている。映画のカメラワークは、一部の批評分析で指摘されているように、深い焦点のロングショットを意図的に使用していることが特徴的だ。このアプローチは、映画の没入感を高め、田園地帯という舞台の中で登場人物たちの相互の繋がりを強調するのに効果的に貢献している。

『ミゼリコルディア』(2024)におけるクローズアップの程度に関する具体的な詳細は、提供された資料では限られているが、ギロディの過去のクローズアップへの傾向と、マトンが『スペンサー ダイアナの決意』(2021)などの作品で見せた繊細なポートレートワークは、映画におけるそれらの巧みな活用を示唆しており、おそらく感情的なニュアンスを強調するために効果的に使用されている。映画は2.35:1のワイドスクリーンで撮影されており、映像に映画的な広がりを与え、風景の広大な眺めと、1つのショットの中に複数の登場人物を効果的にフレーミングすることを可能にしている。

マトンによる撮影はまた、構図に対する鋭い視点を示しており、田園地帯という舞台とその固有の視覚的可能性を効果的に活用して、物語を視覚的に豊かに表現している。映画のカラーパレットは、しばしば秋の色合いと表現され、季節の豊かな色彩と質感を捉えており、これはマトンが自然光に対する感受性と、ギロディとの過去のコラボレーションと一致している。

光と影の相互作用も、特に夜のシーンにおいて、映画の視覚的なスタイルの重要な側面となっており、神秘的な感覚を創出し、潜在的な危険を巧みに暗示している。『ミゼリコルディア』(2024)のショット全体の構成は、映画の雰囲気に深い影響を与えており、孤立感、登場人物間の根底にある緊張感、そして自然界の微妙な美しさを鮮やかに描き出している。

クレール・マトンは、『燃ゆる女の肖像』(2019)や『スペンサー ダイアナの決意』(2021)といった視覚的に印象的な作品で知られる、確立された名声を持つ撮影監督であり、自然光に対する深い理解、親密なカメラワークへの親和性、そして絵画的な美学を作り出す並外れた才能を示している。

『ミゼリコルディア』(2024)における深い焦点のロングショットとクローズアップの巧みな組み合わせは、映画が同時に登場人物の環境における位置を強調し、彼らの個々の感情的および心理的な状態を掘り下げることができるという、魅力的な視覚的ダイナミクスを生み出している。

まとめ・結論

結論として、『ミゼリコルディア』(2024)は、アラン・ギロディのすでに印象的なフィルモグラフィーの中で、そして現代フランス映画への重要な貢献として、魅力的で独特な作品として際立っている。そのジャンルの見事な融合は、欲望、道徳、そして緊密な田舎のコミュニティにおける人間関係の複雑さといった深遠なテーマの探求と相まって、観客を不安にさせながらも深く引き込む視聴体験を創出している。

『ミゼリコルディア』(2024)の成功は、それが示唆に富み、芸術的に優れたアートハウス映画としての地位を確立し、今後何年にもわたって映画愛好家の間で議論と分析を巻き起こし続けることを約束していると言えるだろう。