『ノック 終末の訪問者』(2023)(監督:M・ナイト・シャマラン)の概要
スタッフ
上映時間 | 100分(1時間40分) |
制作年 | 2023年 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
担当 | 名前 |
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監督・脚本・制作 | M・ナイト・シャマラン (『シックス・センス』(1999)他) |
スティーヴ・デズモンド | |
マイケル・シャーマン | |
制作 | マーク・ビエンストック |
アシュウィン・ラジャン | |
撮影 | ジェアリン・ブラシュケ |
編集 | ノエミ・カタリーナ・プライスヴェルク |
音楽 | ヘルディス・ステファンスドッティル |
出演(訪問者の4人組) | デイヴ・バウティスタ(レナード役) (『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)他) |
ニキ・アムカ=バード(サブリナ役) (『オールド』(2021)) | |
ルパート・グリント(レドモンド役) (『ハリー・ポッターと賢者の石』(2021)他) | |
アビー・クイン(エイドリアン役) (『秘密への招待状』(2019)他) | |
出演(山小屋に住む家族) | ジョナサン・グロフ(エリック役) (『アナと雪の女王』(2013)他) |
ベン・オルドリッジ(アンドリュー役) | |
クリステン・ツイ(ウェイ役) |
予告編
音楽
名前 | Prime Video | U-NEXT | Nexflix | Hulu | Lemino(旧dTV) |
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ロゴ | |||||
見放題 | 定額見放題 | レンタル | なし | なし | レンタル |
以下ネタバレ
感想・考察 (ネタバレあり)
概要
M・ナイト・シャマラン監督の『ノック 終末の訪問者』は、休暇中の家族が直面する恐ろしい選択を描いたサスペンススリラーだ。ゲイカップルのエリック(ジョナサン・グロフ)とアンドリュー(ベン・オルドリッジ)、そして彼らの養女ウェン(クリステン・クイ)が山小屋で過ごす平和な時間は、4人の謎の侵入者によって一変する。
侵入者たちは、世界の終末を止めるためには家族の誰かを犠牲にしなければならないと主張し、家族に究極の選択を迫るのだ。この設定は、シャマラン監督が得意とする閉鎖空間でのサスペンスと、家族の絆をテーマにした物語の要素を巧みに組み合わせている。
映画は、家族の日常的な幸せの描写から始まり、徐々に緊張感を高めていく。侵入者たちのリーダー、レナード(デイヴ・バウティスタ)の穏やかながらも不気味な態度が、観客の不安を掻き立てる。そして、家族が選択を拒否するたびに世界で起こる災害のニュースが、状況の深刻さを印象づけていく。
原作との比較
本作は、ポール・トレンブレイの小説「終末の訪問者」(竹書房文庫 と 5-1)を原作としているが、シャマラン監督は原作のエンディングを大幅に変更した。原作では、より暗く曖昧な結末が用意されており、読者に多くの解釈の余地を残していた。具体的には、原作では家族の娘が誤って殺されてしまうという悲劇的な展開があり、最後まで世界の終末が本当に起こるのかどうかが明確にされない。
一方、映画版では、より広い観客層を意識したと思われる、悲劇的ながらもやや希望的な結末を選んでいる。映画では、家族の一人が自ら犠牲になることを選択し、それによって世界の終末が回避されるという、より明確な結末となっている。
この変更は賛否両論を呼んでおり、原作ファンの中には失望を隠せない声もある。原作の曖昧さや残酷さを支持する人々は、映画版がその要素を和らげたことに物足りなさを感じているようだ。しかし一方で、より多くの観客に受け入れられやすい結末にしたことで、映画としての完成度が高まったという評価もある。
また、原作と映画では細部の描写にも違いがある。例えば、侵入者たちの背景や動機づけ、家族の過去のエピソードなどが、映画では若干異なる形で描かれている。これらの変更は、映画という媒体の特性に合わせて、より視覚的で劇的な効果を生み出すためのものと考えられる。
シャマラン監督の演出
シャマラン監督の特徴である緻密なサスペンスの構築と、家族愛や信仰といったテーマの探求が本作でも健在だ。監督は、クローズアップショットを多用することで、登場人物たちの心理的葛藤を丁寧に描写している。特に、家族の面々が決断を迫られる場面では、その表情の微妙な変化を捉えることで、観客に彼らの内面を感じ取らせることに成功している。
また、暴力的なシーンは控えめに表現されており、心理的な恐怖や緊張感を重視していることがうかがえる。これは、シャマラン監督の持ち味である「見せない恐怖」の手法を活かしたものだ。例えば、侵入者たちが自らを犠牲にする場面では、直接的な暴力描写を避け、音響効果や登場人物の反応を通じて、観客の想像力を刺激する演出が施されている。
さらに、シャマラン監督らしい細部へのこだわりも見られる。山小屋の内装や、侵入者たちが持ち込む「武器」の造形など、ビジュアル面での丁寧な作り込みが、物語の説得力を高めている。これらの要素が相まって、閉鎖空間での緊張感あふれる心理戦を生々しく描き出すことに成功しているのだ。
加えて、シャマラン監督の作品に特徴的な「ツイスト」要素も、本作では巧みに取り入れられている。ただし、過去の作品ほど露骨ではなく、むしろ物語の自然な流れの中に溶け込む形で提示されている点が注目に値する。これにより、観客は物語に没頭しつつ、予想外の展開に驚かされるという、バランスの取れた体験を得ることができるのだ。
シャマラン監督特有のシナリオの「ツイスト」要素
シャマラン監督の作品でよく見られる「ツイスト」は、物語の最後や重要な場面で起こる予想外の展開のことだ。観客の予想を裏切り、それまでの物語を一変させる要素として知られている。
『シックス・センス』での場合 (大きなネタバレなので反転)
代表的な例としては、「シックス・センス」での主人公が実は死んでいたという衝撃の展開がある。この「ツイスト」により、観客は物語全体を新しい視点で見直すことになる。
本作では、過去の作品ほど露骨な「ツイスト」要素は使われていない。しかし、世界の終末が本当に起こるのか、侵入者たちの主張が真実なのかという点で、観客の予想を裏切る展開が用意されている。この「ツイスト」の使い方は、より洗練されたものになっているという評価がある。物語の自然な流れの中に溶け込んでおり、過度に目立つことなく効果的に機能している。
「ツイスト」要素は、観客に驚きと満足感を与え、物語を印象的なものにする。また、物語を新たな視点で見直す機会を提供する。一方で、シャマラン監督の「ツイスト」要素の使用は、過度に依存しているという批判もある。しかし、『ノック 終末の訪問者』では、より巧妙に「ツイスト」要素が組み込まれているという評価が多い。
俳優陣の演技
本作の俳優陣の演技は、物語の説得力を大いに高めている。特に、主要な侵入者を演じるデイヴ・バウティスタの繊細な演技が際立っている。プロレスラー出身のバウティスタが、穏やかながらも威圧的な存在感を持つレナード役を見事に演じ切っているのだ。彼の演技は、単なる脅威としての存在を超えて、信念を持った人間としての複雑さを表現しており、観客の共感を引き出すことにも成功している。
主演のジョナサン・グロフとベン・オルドリッジも、絶望的な状況下での愛と葛藤を説得力たっぷりに表現している。二人の演技は、互いへの愛情と、娘を守りたいという強い思いを感じさせると同時に、状況の異常さに対する戸惑いや恐怖も巧みに表現している。特に、決断を迫られる場面での二人の心の揺れは、観客の感情を強く揺さぶるものとなっている。
さらに、娘役のクリステン・クイの演技も、物語に重要な要素を加えている。彼女の無邪気さと恐怖、そして両親への愛情の表現が、状況の残酷さをより際立たせる効果を生んでいるのだ。
他の侵入者役の俳優たち(ニッキー・アムカ=バード、アビー・クイン、ルパート・グリント)も、それぞれ個性的な演技で物語に厚みを加えている。彼らの演技を通じて、侵入者たち自身も自らの行動に苦悩している様子が伝わってくる。これにより、単純な「善対悪」の構図を超えた、複雑な人間ドラマが展開されているのだ。
テーマと問いかけ
『ノック 終末の訪問者』は、単なるスリラー映画を超えて、深い哲学的問いを投げかけている。最も中心的なテーマは、家族愛と人類全体の運命という、一見相反する価値観の間でどちらを選ぶべきか、という問いだ。この問いは、個人の幸福と社会全体の利益のバランスという、現代社会が常に直面している課題を反映している。
また、目に見えない脅威を信じるべきか、それとも目の前の現実だけを信じるべきか、という問いも重要だ。これは、現代社会における情報の信頼性や、科学と信仰の関係性といった問題にも通じる。映画は、アンドリューの懐疑的な態度とエリックの直感的な信念を対比させることで、この問題を多角的に描いている。
さらに、犠牲の意味についても深く掘り下げている。自らを犠牲にすることの価値、あるいは他者の犠牲を受け入れることの是非など、倫理的に非常に難しい問題を提起している。これらの問いに対する明確な答えは提示されず、観客一人一人が自分なりの答えを見つけることを促している。
加えて、本作は同性カップルを主人公に据えることで、多様性と受容というテーマも含んでいる。侵入者たちが同性愛者である主人公たちを特別視せず、むしろ彼らの愛情の深さを評価している点は注目に値する。これにより、愛の本質や家族の形についても、観客に考えさせる機会を提供しているのだ。
4人の侵入者と黙示録の4騎士
本作における4人の侵入者たちは、聖書の黙示録に登場する4騎士を象徴していると解釈できる。この設定は、物語に深い象徴性と神秘性を付与している。
レナード(デイヴ・バウティスタ)は、リーダー格として白馬の騎士(征服)を象徴している。彼の穏やかながらも断固とした態度は、まさに征服者としての性質を表している。サブリナ(ニッキー・アムカ=バード)は赤馬の騎士(戦争)を、アドリアン(アビー・クイン)は黒馬の騎士(飢饉)を、レッドモンド(ルパート・グリント)は青ざめた馬の騎士(死)をそれぞれ象徴していると考えられる。
この4騎士のモチーフは、単なる視覚的な演出以上の意味を持っている。それぞれの侵入者が自らを犠牲にする度に起こる災害は、4騎士が引き起こす終末の兆候と重なる。地震、疫病、戦争といった災害は、まさに黙示録的な世界の終わりを想起させるものだ。
さらに、4人の侵入者たちが普通の人々であるという設定も興味深い。彼らは神の使いでも、超自然的な存在でもなく、ただのビジョンに導かれた一般人である。この設定は、終末や救済といった大きなテーマを、より身近で人間的な視点から描くことを可能にしている。
シャマラン監督は、この4騎士のモチーフを通じて、信仰と現実、運命と自由意志といったテーマを探求している。4人の侵入者たちが本当に4騎士なのか、それとも単なる妄想に取り憑かれた狂信者なのかという疑問は、最後まで明確な答えが示されない。この曖昧さこそが、観客に深い考察を促す要因となっているのだ。
4騎士という象徴的な設定は、本作に神秘的かつ普遍的な雰囲気を与えている。それは同時に、現代社会における終末論的な不安や、人類の運命に対する個人の責任といった、より現代的なテーマにもつながっている。このように、古代の黙示録的イメージと現代的な問題意識を巧みに融合させている点も、本作の大きな魅力の一つと言えるだろう。
7回のノックの象徴性
本作のタイトルにもなっている「ノック」は、単なる物語の導入以上の意味を持っている。侵入者たちが家族の休暇用キャビンのドアを7回ノックする場面は、物語の重要な転換点となっている。
7という数字は、多くの文化や宗教で特別な意味を持つ。聖書では、創造の7日や7つの大罪など、完全性や神聖さを表す数字として頻繁に登場する。この文脈で考えると、7回のノックは世界の終わりの到来を告げる神聖な合図とも解釈できる。
また、7回のノックは物語の構造にも反映されている。映画は7つの主要なシーンや決断の瞬間に分けられており、それぞれが世界の終末に向かう一歩となっている。この構造は、観客に緊張感と切迫感を与えると同時に、物語に神秘的な雰囲気を付与している。
さらに、7回のノックは家族の平和な日常が崩壊する瞬間を象徴している。それは同時に、彼らが直面する7つの試練の始まりでもある。各ノックが、家族が乗り越えなければならない困難や決断を表しているとも考えられる。
シャマラン監督は、この7回のノックという要素を通じて、日常と非日常の境界、選択の重要性、そして運命と自由意志の問題を巧みに提示している。それは単なる物語の装飾ではなく、本作のテーマと密接に結びついた重要な象徴なのだ。
結論
『ノック 終末の訪問者』は、シャマラン監督の特徴を存分に発揮しつつも、新たな挑戦を感じさせる作品となっている。家族愛、信仰、犠牲といった普遍的なテーマを、独特の緊張感とサスペンスで包み込んだ本作は、観る者に深い考察を促す作品と言えるだろう。
原作との違いは賛否両論を呼んでいるが、それも含めて本作の魅力となっている。シャマラン監督は、原作の持つ深さを損なわずに、より幅広い観客に訴えかける作品に仕上げることに成功したと言える。
俳優陣の熱演も、本作の魅力を大いに高めている。特にデイヴ・バウティスタの繊細な演技は、彼の俳優としての新たな一面を示すものとなった。主演のカップルや娘役の演技も、観客の感情を強く揺さぶる力を持っている。
本作が提起する哲学的な問いは、映画館を出た後も観客の心に残り続けるだろう。家族の絆と人類の運命、信念と懐疑、個人と社会の関係など、現代社会が抱える本質的な問題に、エンターテインメントを通じてアプローチしている点は高く評価できる。