『ジョン・バージャーと4つの季節』(2016)(監督:ティルダ・スウィントン他)の概要
作品概要
原題・英題 | The Seasons in Quincy:Four Portraits of John Berger |
上映時間 | 90分(1時間30分) |
制作年 | 2016年 |
製作国 | イギリス |
メインスタッフ・キャスト
担当 | 名前 |
---|---|
監督・脚本・編集 | ティルダ・スウィントン (『ナルニア国物語』シリーズ、『フィクサー』(2007)他) |
コリン・マッケイブ | |
バルテク・ヅィアドーシュ | |
クリストファー・ロス |
予告編
あらすじ
時間を共に過ごすことで見えてくる、テキストや美術作品では伝わらないジョン・バージャーの思想。デレク・ジャーマン・ラボ製作の親密なポートレート。
『見るということ』『第七の男』などで知られるイギリスの美術批評家・作家・詩人のジョン・バージャー。女優のティルダ・スウィントンらがカメラを手に彼の住むフレンチアルプスに訪れ、穏やかに言葉を交わし、時には共に沈黙を味わう。リンゴを剥きながら、そしてお互いの肖像画を描きながらの20世紀の偉大な思想家との“思考のレッスン”。
以下ネタバレ
感想・考察
前提として、日本ではイメージフォーラム・フェスティバル2024のみでの現在放映された作品である。(2024/10/14)
前提:ジョン・バージャーとは
ジョン・バージャー(1926-2017)は、20世紀後半から21世紀初頭にかけて活躍した英国の作家、美術評論家、画家、そして詩人だ。その多才な才能と鋭い社会批評で知られ、現代思想に多大な影響を与えた人物である。
バージャーの代表作には、1972年にブッカー賞を受賞した小説『G.』がある。しかし、彼の名を世界的に知らしめたのは、同じ年にBBCで放送された4部作のテレビ番組『Ways of Seeing(見るということ)』だろう。この番組は後に書籍化され、美術史や視覚文化研究の古典的テキストとなった。
バージャーの思想の特徴は、マルクス主義的な視点と人間主義的なアプローチの融合にある。彼は芸術を社会や政治から切り離して考えることを拒み、常に両者の関係性に注目した。その批評は美術の枠を超えて、現代社会の様々な側面に及んでいる。
1970年代以降、バージャーはフランスの農村に移り住み、農民の生活を間近で観察しながら執筆活動を続けた。この経験は『豚の大地』などの著作に結実し、彼の思想にさらなる深みを与えることとなった。
日本ではバージャーの著作の翻訳が比較的少なく、その全体像が十分に紹介されているとは言い難い。しかし、その先見性と深い洞察は、グローバル化が進む現代社会において、ますます重要性を増している。芸術、政治、そして日常生活の関係性を鋭く見つめるバージャーの視点は、現代の我々にも多くの示唆を与えてくれるだろう。
1. 作品の概要と構成
『ジョン・バージャーと4つの季節』(2016)は、20世紀を代表する知識人の一人、ジョン・バージャーの人生と思想を描いたドキュメンタリー作品だ。作家、画家、美術評論家として幅広い分野で活躍したバージャーの多面的な才能を、4つの短編から成る非線形的なアンソロジー形式で捉えようと試みている。
本作品の特筆すべき点は、その独特の構成にある。4つの章が季節をテーマにしており、それぞれがバージャーの異なる側面を描き出すのだ。この季節をモチーフとした構成は、バージャー自身が長年住んでいたフランスの農村キンシー(Quincy)の自然の循環と、彼の思想の深さや変遷を巧みに重ね合わせている。
各章は独立した短編として機能しつつも、全体としてバージャーという人物の総体を浮かび上がらせることに成功している。この斬新なアプローチは、従来の伝記的ドキュメンタリーの枠を超え、より創造的で多層的な人物描写を可能にしているのだ。
2. ティルダ・スウィントンの貢献
本作品において、女優のティルダ・スウィントンが果たす役割は極めて大きい。スウィントンはただの出演者にとどまらず、プロジェクト全体の推進力となっている。彼女とバージャーの関係は、単なる芸術家同士の交流を超えた深い友情に基づいており、それが作品全体に独特の親密さと深みをもたらしているのだ。
第1章「Ways of Listening」では、スウィントンがバージャーと対等な立場で対話を展開する。二人の会話は、芸術、政治、人生哲学など多岐にわたり、バージャーの思想の核心に迫るものとなっている。スウィントンの知的好奇心と洞察力が、バージャーの言葉を引き出し、視聴者にとってより理解しやすい形で提示することに成功している。
さらに、最終章「Harvest」ではスウィントンが執筆・制作・監督を担当している。この章では、彼女の子供たちがバージャーの息子イヴと交流する様子が描かれるが、これは単なる私的な記録にとどまらない。世代を超えた対話を通じて、バージャーの思想が如何に次世代に受け継がれていくかを示唆する重要な場面となっているのだ。
スウィントンの関与は、本作品に芸術的な深みと人間的な温かみをもたらしている。彼女の存在が、バージャーという複雑な人物をより親しみやすく、同時により深く理解させる架け橋となっているのは間違いない。
3. 各章の内容と特徴
3.1 「Ways of Listening」
コリン・マッケイブ監督による本章は、作品全体の基調を設定する重要な役割を果たしている。バージャーとスウィントンの対話を中心に構成されており、キンシーにあるバージャーの自宅で撮影されたこの章は、まるで親密な友人同士の会話を覗き見るような臨場感を醸し出している。
二人の対話は、単なる回顧談に留まらない。彼らが共有する11月5日という誕生日を出発点に、反逆の精神や社会変革の可能性について語られる。さらに、両者の父親が世界大戦に従軍した経験を通じて、戦争と平和、個人と歴史の関係性についても深い洞察が展開される。
この章の特筆すべき点は、バージャーの思想を抽象的な概念としてではなく、彼の日常生活や個人的な経験と密接に結びついたものとして提示していることだ。例えば、スウィントンがリンゴの皮をむく様子や、バージャーがスケッチを描く場面は、芸術と日常の融合というバージャーの思想を視覚的に表現しているのだ。
3.2 「Spring」
クリストファー・ロス監督による本章は、4つの短編の中で最も実験的なアプローチを取っている。当初の計画から大きく変更を余儀なくされたこの章は、結果として本作品の中で最も挑戦的かつ刺激的な部分となった。
バージャーの妻ビバリーの死という予期せぬ出来事を受けて、ロス監督は従来の人物ドキュメンタリーの手法を放棄し、より抽象的かつ詩的なアプローチを採用した。キンシーの動物や風景に焦点を当てたこの章は、バージャーの著作「なぜ動物を見るのか」を視覚的に解釈したものと言える。
ロス監督は、断片的なイメージの連続、音声の重層的な使用、予期せぬカットの挿入など、様々な実験的手法を駆使している。これらの技法は、一見すると混沌としているように見えるかもしれない。しかし、よく観察すると、それらがバージャーの思想、特に人間と自然の関係性についての彼の考察を視覚的に表現していることがわかるだろう。
この章は、バージャーの著作を単に説明するのではなく、その本質を映像言語で再解釈しようという野心的な試みだ。それゆえに、観る者に強い印象を与えると同時に、解釈の幅も広いものとなっている。
3.3 「A Song for Politics」
バルテク・ジアドシュとコリン・マッケイブ共同監督による本章は、バージャーの政治思想に焦点を当てている。現代政治についての議論を中心に構成されているこの章は、バージャーのマルクス主義的立場を明確に示すものとなっている。
本章の中核を成すのは、バージャー、ロス、マッケイブ、そして作家のアクシ・シンとベン・ラーナーによるパネルディスカッションだ。彼らは資本主義の問題点、グローバリゼーションの影響、そして新しい政治的「物語」の必要性について熱心に議論を交わす。
しかし、この章は両レビューで最も評価が低くなっている。その理由として、議論の展開が断片的で深みに欠けること、参加者の発言が表面的なものに留まっていることなどが指摘されている。また、黒白で撮影されているという演出的な選択も、いささか古臭い印象を与えているようだ。
それでもなお、この章にはバージャーの鋭い洞察が散りばめられている。例えば、「連帯が重要なのは天国ではなく地獄においてだ」という彼の発言は、社会変革の必要性と困難さを端的に表現しており、深い余韻を残す。
3.4 「Harvest」
スウィントン監督による最終章は、より個人的な視点からバージャーを描いている点で、他の章とは一線を画している。スウィントンの子供たちがバージャーの息子イヴと交流する様子を中心に構成されたこの章は、バージャーの思想が日常生活にどのように根付いているかを示す好例となっている。
この章の特筆すべき点は、世代間の対話を通じてバージャーの思想の継承を示唆していることだ。例えば、イヴがスウィントンの子供たちに、父親が風景の美しさの背後にある人間の労働に常に注目していたことを語る場面がある。これは、バージャーの美学と倫理が密接に結びついていることを端的に示すものだ。
また、スウィントンがドローンカメラを使用して撮影した地域の風景は、バージャーが長年親しんだ環境を新しい視点から捉えることに成功している。これは、バージャーの思想を現代的な文脈で再解釈する試みとも言えるだろう。
この章は、バージャーの思想が単なる理論に留まらず、実際の生活や人々の関係性の中に深く根付いていることを示している。それゆえに、本作品の締めくくりとして非常に効果的に機能しているのだ。
4. ジョン・バージャーの人物像
本作品を通して浮かび上がるジョン・バージャーの人物像は、極めて多面的かつ魅力的なものだ。作家、画家、美術評論家としての彼の業績は言うまでもないが、本作品はそれらの表面的な成功を超えて、バージャーの思想の深さと人間性の豊かさを描き出すことに成功している。
バージャーのマルクス主義的思想は、本作品全体を通じて一貫したテーマとなっている。しかし、それは単なるイデオロギーの追随ではない。彼の思想は、日常生活や芸術実践と密接に結びついた「生きたマルクス主義」とでも呼ぶべきものだ。例えば、彼がフランスの農村キンシーに移住したのも、単なる田園生活への憧れではなく、資本主義社会から距離を置き、より本質的な人間の営みを観察し、体験するためだったことが示唆されている。
また、本作品はバージャーを「ラジカル・ヒューマニスト」として描いている。これは、彼の政治思想が単なる体制批判に留まらず、人間の尊厳と可能性への深い信頼に基づいていることを示している。バージャーの温かなまなざしは、彼が描く絵画や、スウィントンとの対話、そして地域の人々との交流などを通じて、繰り返し強調されている。
さらに、本作品はバージャーの知的好奇心の広さと深さを印象的に描き出している。彼の関心は文学や美術にとどまらず、政治、哲学、動物学、農業など多岐にわたる。そして、それらの様々な分野の知識を有機的に結びつけ、独自の世界観を構築している姿が浮かび上がってくるのだ。
バージャーの人物像の魅力は、その知性と感性のバランスにある。彼は鋭い社会批判を展開する一方で、日常の些細な出来事や自然の美しさに対する繊細な感受性も持ち合わせている。この両面性が、バージャーを単なる理論家ではなく、真の意味での「知識人」たらしめているのだ。
5. 映像表現の特徴
『ジョン・バージャーと4つの季節』(2016)の映像表現は、その多様性と創造性において特筆に値する。各章がそれぞれ異なるアプローチを採用していることで、バージャーの多面的な人物像を効果的に描き出すことに成功している。
第1章と第4章では、ホームムービー的な親密さが特徴的だ。手持ちカメラによる撮影や、自然光を多用した照明など、ドキュメンタリーらしからぬ柔らかな映像表現が採用されている。これにより、バージャーの日常や彼を取り巻く人々との関係性が、より親密に、より生々しく描かれている。特に第4章では、スウィントンの子供たちとバージャーの息子イヴとの交流を捉えた場面が印象的だ。その素朴な映像は、バージャーの思想が世代を超えて受け継がれていく様子を静かに、しかし確実に伝えている。
対照的に、第2章では極めて実験的な手法が用いられている。断片的なイメージの連続、予期せぬカットの挿入、音と映像の不協和など、従来のドキュメンタリーの文法を大きく逸脱した表現が試みられている。これらの手法は、一見すると混沌としているように見えるかもしれない。しかし、よく観察すると、それらがバージャーの著作「なぜ動物を見るのか」の本質を視覚的に表現しようとする野心的な試みであることがわかるだろう。
また、本作品ではバージャーの過去のTVショーなど、アーカイブ映像も効果的に使用されている。これらの映像は、バージャーの思想の一貫性と変遷を示すと同時に、彼が長年にわたって公共の知識人として果たしてきた役割を再確認させるものだ。特に、彼が躊躇なく自身をマルクス主義者と公言するシーンは、現代の視点から見ると驚くべき率直さを感じさせる。
さらに、第4章で使用されているドローンカメラによる空撮は、バージャーが長年親しんだキンシーの風景を新たな視点から捉えることに成功している。これは単なる視覚的な斬新さを超えて、バージャーの思想を現代的な文脈で再解釈する試みとも言えるだろう。広大な自然と人間の営みの痕跡が織りなす風景は、バージャーが常に注目してきた「自然と人間の関係性」を象徴的に表現しているのだ。
このように、本作品の映像表現は極めて多層的で創造的だ。それは単にバージャーの人生や思想を説明するのではなく、視覚的に体験させることを目指している。時に挑戦的で、時に親密で、そして常に知的刺激に満ちたこの映像表現は、バージャー自身の芸術観や世界観を反映したものと言えるだろう。