【映画評】『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(2024) ネタバレあり感想・考察

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(2024)(監督:ペドロ・アルモドバル) の概要

作品概要

原題・英題The Room Next Door
上映時間106分(1時間46分)
制作年2024年
製作国スペイン

メインスタッフ・キャスト

担当名前
監督・脚本ペドロ・アルモドバル (『ペイン・アンド・グローリー』(2019)『パラレル・マザーズ』(2021),他)
原作シグリッド・ヌーネス『What Are You Going Through』(未邦訳)
撮影監督エドゥアルド・グラウ (『シングルマン』(2009)『ある少年の告白』(2018),他)
音楽アルベルト・イグレシアス (『裏切りのサーカス』(2012),『抱擁のかけら』(2009),他)
出演ティルダ・スウィントン (『ナルニア国物語』シリーズ、『フィクサー』(2007)他)
ジュリアン・ムーア (『エデンより彼方に』(2002)『めぐりあう時間たち』(2002)他)

予告編

音楽

動画配信(主要サイト)

名前Prime VideoU-NEXTNexflixHuluLemino(旧dTV)
ロゴ
見放題なしなしなしなしなし
2024/11/3(日)時点

あらすじ

ニューヨークを拠点に活動する芸術評論家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、かつての同僚であり友人でもあるマーサ(ティルダ・スウィントン)が末期の子宮頸がんを患っていることを知る。戦場ジャーナリストとして世界中を取材してきたマーサは、実験的な免疫療法を受けているものの、その効果は限定的だった。長年の空白を経て再会した二人は、マーサの最期の願いをめぐって深い絆を取り戻していく。

マーサは自身の死期を自ら決めることを望み、闇サイトを通じて入手した薬を使う計画を立てる。その際、隣室で見守り人となってほしいとイングリッドに依頼する。実は他の何人かにも同様の依頼をしていたが断られており、イングリッドが最後の望みだった。この告白は後に法的な問題を引き起こす可能性を孕んでいた。二人は郊外の贅沢なモダニスト建築の家で最後の時を過ごすことになる。

以下ネタバレ


感想・考察

概要

ペドロ・アルモドバル監督が74歳にして初めて手がけた英語長編作品『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(原題:The Room Next Door)が、第80回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。長年にわたりヨーロッパの主要映画祭での受賞を逃してきた巨匠が、英語作品で最高賞に輝いたことは映画界に大きな衝撃だった。『友だち』などの邦訳もあるシグリッド・ヌーネスの小説『What Are You Going Through』を原作に、アルモドバル監督自身が脚本を手がけた本作は、死を前にした二人の女性の再会と、その間に育まれる深い友情を描く物語である。スペインでのロケーションと撮影所での撮影を組み合わせることで、アメリカを舞台としながらも独特の映像美を実現している。

映像美と演出

エドゥアルド・グラウによる鮮やかな撮影と、アルモドバル監督特有の大胆な色彩設計が、物語に豊かな視覚的層を与えている。特に動脈を思わせる赤色の効果的な使用は、生命の輝きと脆さを象徴的に表現している。舞台となるニューヨーク郊外のモダニストの家は、都会と田舎の対比を象徴的に表現する空間として機能する。

豪華なオーケストラスコアが全編を通じて流れ、ヒッチコックやダグラス・サークから学んだとされる映画作法が、英語による表現でむしろ際立つ効果を生んでいる。文学や映画への言及に満ちた知的な会話と、死を巡る哲学的な対話が、繊細に織り込まれていく。特に作中も幾度となく言及されるジェイムズ・ジョイスの『死者たち』の場面は、雪が降る場面と呼応して深い意味を持つ。

演技者たちの競演

ティルダ・スウィントンは、死と向き合う元ジャーナリストを圧倒的な存在感で演じ切っている。その表情と言葉は死に向き合う人間の探求の道具として機能し、壮大な演技を見せる。自分を知り、望むものを知りながら、未知の領域に踏み込んでいく姿は観る者の心を揺さぶる。

ジュリアン・ムーアとの二人芝居的な展開は、両者の卓越した演技力によって深い説得力を持つ。ムーアが演じるイングリッドは、温かく共感的でありながら、友人を支える責任と法的リスクの間で揺れ動く複雑な心理を繊細に表現している。ジョン・タートゥロが演じる共通の元恋人は、気候変動による人類の破滅を予言する悲観論者として描かれ、物語に新たな陰影を加えている。

ストーリー構造の特徴

本作は直線的な物語展開を避け、フラッシュバックや付随的なシーンを効果的に織り込んでいく。特にマーサが一人で娘を育てた過去を描くベトナム戦争時代の回想シーンは、それ自体が一つの小品として成立する強度を持っている。物語の終盤に登場する成長した娘との場面は、それまでの様式的な美しさとは対照的な現実感を持って描かれる。

テーマと意義

本作は、安楽死という現代社会の重要なテーマに真摯に向き合いながら、人生の選択と決断、そして友情の本質を探求している。アルモドバル監督の後期作品群に見られる死への関心は、本作でさらに深い考察へと昇華されている。『ペイン・アンド・グローリー』(2019)や『パラレル・マザーズ』(2021)で描かれてきた死への関心は、本作でより直接的な形で表現されている。

(直接関係はないが、筆者が見た東京国際映画祭では、ジャン=リュック・ゴダール監督の安楽死直前に完成させた遺作『Scénarios』(2024)もあり、彼らの心境を察するものがあった。)

英語作品でありながら、監督特有の映像美と物語の深みは十分に保持されており、新たな挑戦は見事な成功を収めている。登場人物たちの豊かな文学的・芸術的教養は、時として不自然に映る英語でのやり取りに、むしろ必然性を与えている。

評価のポイント

死という避けられないテーマを、過度な感傷に流れることなく、優美かつ力強く描き切った手腕は高く評価される。マーサが自身の死期を決める権利を主張する姿は、単なる社会的イシューとしてではなく、深い人間ドラマとして描かれている。

回想シーンの効果的な使用や、文学的な対話の織り込みなど、物語を重層的に展開する手法も秀逸である。予期せぬ雪が降る場面は、死の前触れでありながら祝福のようにも見える詩的な瞬間として印象的だ。

アルモドバル監督の23作目となる本作は、彼の映画作家としての円熟を如実に示す傑作となっている。死と生、友情と孤独、選択と運命といった普遍的なテーマを、現代的な文脈の中で見事に昇華させることに成功している。

まとめ

『隣室』は、死を巡る物語でありながら、強く生を肯定する作品となっている。登場人物たちの持つ特権的な立場は、安楽死という選択肢を全ての人が持てるわけではないという現実を浮き彫りにするが、それは作品の人間的な真実性を損なうものではない。むしろ、私たちが皆いつか向き合わなければならない「別れ」という普遍的なテーマに、深い洞察を与えている。